10月29日(日)は、一宮市の丹陽町、八幡社にて一宮市の無形文化財である「甘酒祭り」が開催されます。 甘酒祭りは大永年間(1521~28)に、旧暦8月15日に行っていた豊年祭りで、今でも毎年継承されています。
甘酒の振る舞いと、甘酒などお供えしたものを裸の歳男が撒き散らし、豊年への感謝と無病息災を祈るちょっと不思議なお祭りです。
甘酒祭りの歴史
甘酒まつりの歴史は古く、尾張重吉城を築いた尾藤源内重吉の子孫、桑山氏による豊年祭が現代まで受け継がれています。 ちなみに重吉城ですが、もともとは信濃国の守護である小笠原家に仕えていた尾藤家ですが、武田信玄に侵略されたため信濃を追われ、織田信長に仕えるべくこの尾張で城を建てたのだそうです。
しかし永禄年間(1558年~1570年)に織田信長にこの地を追われることとなり、三河の長篠城城主・奥平信昌(徳川家康の家臣)に仕えることになりました。尾藤重吉はなかなか主君が定まらず、大変だったのですね。
地域の祭りとして根付いたのは、明治30年ごろから。 一宮市の観光協会のホームページから引用します。
子孫の桑山氏が甘酒田として免租地となっていた神田を村へ寄付して以降、村全体の祭りになったと伝えられており、現在は10月の第4日曜日に行われ、市の無形民俗文化財に指定されている。甘酒と強飯を氏神様にお供えし、豊作を祈願し、そのお供えものを裸の年男が観光客に撒き散らす。
稲沢のはだか祭りもそうですが、この地域の神事は男性が裸になるものが多いですね。
甘酒でホッコリしつつ、午後はそれを撒き散らす祭り
最近は美肌効果が期待され女性を中心に甘酒が人気。しかもノンアルコールなのでみんなが飲める点がすばらしいですね。 そんな甘酒の振る舞いは午前10時から行われます。
甘酒の準備が整うと太鼓が鳴り、地域の方がそろって公民館に集まり、甘酒を飲み、1年の豊穣を感謝するのだそうです。 ここではホッコリした時間を過ごしますが、午後からは個性的なお祭りとなります。
その個性的な内容を同じく観光協会のホームページより引用します。
午後2時からの神事が、神前に甘酒と強飯をお供えし厳かに進む一方で、地元の少年少女がお神楽かぐらを奉納する拝殿では、たくさんのおひねりが飛び交います。神事が済むと、神殿から身を清めた裸の男達が、供えてあった甘酒と強飯の桶を持って見物人のいる境内へ走り出し、それをまき散らします。これは、豊作を祝って境内一円の草や木にまで喜びを分かつ意とされ、またこれをいただくと悪病、災難を免れると言われています。最後は、空になった桶を大鳥居高く投げ上げ、桶の壊れ方で来年の豊作を占いましたが、危険ということもあり、現在は取りやめになっています。
なぜ裸の男性が走り出して甘酒とご飯を撒き散らすのかは謎ですが、この撒かれた甘酒などにはご利益があるようですね。
桶を投げた占いも昔はやっていただようですが、危険なので現在は取りやめというのも気になります。
はだか祭並に個性的なお祭りなので、時間が合う方は見に行ってみてはいかがでしょうか。
駐車場などは特に完備していないそうなので、近隣のコインパーキングなどを利用するのが便利かと思います。
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